東京地方裁判所 平成9年(ワ)22806号 判決
原告 山田忠男
原告 山田美詠子
原告 山田麻理子
右三名訴訟代理人弁護士 吉川孝三郎
同 吉川壽純
同 堀康司
被告 財団法人東京社会保険協会
右代表者理事 永野健
右訴訟代理人弁護士 加藤済仁
同 松本みどり
同 岡田隆志
被告 学校法人日本医科大学
右代表者理事 大塚敏文
右訴訟代理人弁護士 井波理朗
同 太田秀哉
同 柴崎伸一郎
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告らは、原告山田忠男に対し、連帯して金三四三〇万〇六六一円、同山田美詠子及び同山田麻理子それぞれに対し、連帯して各金一五六五万〇三三〇円並びにこれらに対する平成七年八月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一 本件は、原告らにおいて、亡山田淑子が、被告財団法人東京社会保険協会の設置する社会保険葛飾健康センターで受けた注腸造影検査の際、右社会保険葛飾健康センターの医師の過失によりイレウス(腸閉塞)を起こし、さらに、そのために淑子が被告学校法人日本医科大学が設置する日本医科大学付属千葉北総病院に入院したところ、被告病院の医師らが、手術の実施時期の判断を誤り、右手術の実施が遅れたため、腸管癒着の剥離による大出血を引き起こし、これが原因で、淑子が死亡するに至ったと主張して、被告らに対し、民法七一五条所定の使用者責任に基づく損害賠償を請求している事案である。
二 争いのない事実等(証拠の引用のない事実は当事者間に争いがない。)
1 当事者等
(一) 原告山田忠男(以下「原告忠男」という。)は、亡山田淑子(平成七年八月一四日死亡、以下「淑子」という。)の夫であり、原告山田美詠子(以下「原告美詠子」という。)及び原告山田麻理子(以下「原告麻理子」という。)は、いずれも忠男と淑子の間の子である。
原告らは、いずれも淑子の相続人であり、他に相続人はいない。
(二) 被告財団法人東京社会保険協会(以下「被告協会」という。)は、東京都葛飾区立石において、社会保険葛飾健康センター(以下「被告センター」という。)を開設し、健康診断等を行っている。
(三) 被告学校法人日本医科大学(以下「被告大学」という。)は、学校法人であり、千葉県印旛郡印旛村において、日本医科大学付属千葉北総病院(以下「被告病院」という。)を開設している。
2 淑子の被告センターにおける診療経過
(一) 淑子は、平成七年六月二九日、他医において受けた検便において、便潜血反応が陽性であったことから、精密検査を受けるため、被告センターを受診した。(丙一)
淑子は、同年七月六日、被告センターにおいて、注腸造影検査(造影剤バリウムを肛門から口側に注入して、大腸の病巣をモニターテレビを見ながら探索する診断方法、以下「本件検査」という。)を受けたが、その際、淑子の下行結腸上部部分(脾弯曲部)に大腸癌を疑わせる腸管の狭窄であるアップルコアが存在することが判明した。
(二) 淑子は、翌日、再び被告センターを受診した。被告センターの医師は、淑子の病態について、腸管内に通過障害が認められるが、完全なイレウスには至っていない状態である亜イレウスであると判断し、さらに大腸癌の疑いもあったため、淑子に対し、被告病院を受診するよう紹介した。(丙一)
3 淑子の被告病院における診療経過
淑子が、被告病院を受診し、入院して以降、死亡するまでの経過は次のとおりである。なお、入院中の淑子に対する諸検査の結果等は、別表一のとおりであり、入院後死亡までの病態、所見等は別表二のとおりである。(甲二、一一、乙一、二の二、四、五の一ないし三四、証人望月英隆、鑑定の結果)
(一) 淑子は、平成七年七月七日、前記被告センターの医師の紹介により、被告病院を受診した。被告病院の医師による淑子に対する検査の結果、淑子がイレウスを合併した大腸癌(大腸癌イレウス)であることが判明し、淑子は、同日、被告病院に入院した。
淑子は、被告病院への入院時、完全なイレウスではなく、亜イレウスの状態であった。
(二) 被告病院の医師らは、淑子に対し、同日以降、禁食、禁水とし、点滴、経静脈栄養等を開始し、また、同月一〇日にはイレウス管を挿入するなどして保存的治療を実施した。
(三) 淑子に対する前記保存的治療によってもイレウスは改善傾向を示さなかったため、被告病院の医師らは、淑子に対し、同月一二日、イレウスの解除と大腸癌の切除等のための手術(以下「第一手術」という。)を実施した。
右第一手術においては、口側拡張腸管内の内容物を排出して、腸管内の減圧をするとともに、第二群リンパ節郭清及び左半結腸切除が行われた。手術に要した時間は約二時間四〇分であり、手術中の出血量は一三二ミリリットルであった。
(四) 淑子の第一手術の後の経過は、同月一六日ころまで順調であったが、同月一七日から淑子に嘔気嘔吐が出現するようになり、同月一九日、被告病院の医師は、淑子が、術後イレウスであるとの診断をした。
(五) その後、淑子に対し、前記術後イレウスに対する保存的治療が施されたが、改善の兆しがなかったため、同年八月七日、被告病院の医師らにより、右術後イレウス解除のための再手術(以下「第二手術」という。)が行われた。
右第二手術により、淑子の病態は、第一手術後に生じた広範かつ強固な癒着に起因する癒着性イレウスであることが確認された。第二手術においては、癒着が広範かつ強固であったため、癒着の剥離操作は最小限に止められたが、その際、淑子に約四〇五〇ミリリットルもの多量の出血があり、手術中に播種性血管内凝固症候群(以下「DIC」という。)を発症した。
(六) 淑子は、平成七年八月一四日午後一時五〇分、被告病院において死亡したが、直接の死因は出血性ショックによるDICである。(甲二)
三 原告らの主張
1 被告センターの医師の注意義務違反(被告協会の責任)
(一) 医師が、患者に対して、注腸造影検査を行う場合、検査中に、患者にアップルコアが発見されると、右事実により癌の存在が疑われることとなり、その時点で検査の目的を達成したことになるから、直ちに検査を中止すべきである。
また、アップルコアの存在する位置より奥にバリウムを注入すれば、アップルコアの存在により、バリウムの排出が阻害され、その結果イレウスとなる可能性が極めて高くなる。
したがって、注腸造影検査にあたる医師には、ことに本件のように下行結腸と横行結腸の境目にアップルコアを発見した時点で、直ちにバリウムの注入を中止すべき注意義務が存する。
(二) しかるに、被告センターの医師は、淑子に対する本件検査において、淑子の下行結腸上部部分にアップルコアが存在することを発見したにもかかわらず、右発見以後も、漫然と淑子に対するバリウムの注入を続けて、淑子の横行結腸内に大量のバリウムを注入し、その結果、淑子に重篤なイレウスを引き起こした。
(三) 被告センターの医師の前記行為は、注腸造影検査を行うに際し、医師が守るべき注意義務に違反する行為であり、被告センターの医師は不法行為責任を負うから、その使用者である被告協会は、淑子及び原告らに対し、使用者責任を負う。
2 被告病院の医師らの注意義務違反(被告大学の責任)
(一) 被告病院の医師らの第一手術実施時期についての注意義務違反
(1) イレウスは、腸管が何らかの原因で器質的に内腔が狭窄ないし閉塞されることによって起こる機械的イレウスと、腸管に器質的な閉塞の原因が見当たらないにもかかわらず腸管内の通過障害を生じる機能的イレウスに分類され、さらに機械的イレウスは、単純性イレウスと複雑性イレウスとに分類されるところ、本件において、第一手術前に淑子に生じたイレウスは、下行結腸上部部分にアップルコアがあり大腸癌の存在が疑われること、異物であるバリウムが横行結腸等の腸管内に大量に存在することから、異物性イレウスと腫瘍によるイレウスが合わさった機械的イレウスのうちの単純性イレウスである。
そして、単純性イレウスの治療法としては、緊急手術を必要とはせず、保存的治療も治療方法の一つとされてはいるが、保存的治療を開始して三日を経過してもなお、電解質バランスや身体状態が不良であったり、腸管内の閉塞状態が解除されない場合には、手術適応があるものである。
(2) ところで、淑子が被告病院に入院した後、第一手術実施までの淑子の病態は以下のとおりである。
ア 平成七年七月一〇日
排ガス及び少量のバリウム便の排泄が認められたものの、血液ガス分析の数値は低酸素傾向を示し、電解質バランスは崩れ、腹部X線写真では、盲腸から横行結腸に存在していたバリウムが一部回腸へと逆流していることと小腸及び大腸にイレウスの典型的なX線写真所見である鏡面形成(niveau)が認められた。淑子の病態としては、腹痛が極めて強く、嘔気もあった。
イ 同月一一日
排ガスは認められたものの、保存的治療として前日から実施されたイレウス管からの腸管内の減圧は有効には行われていない。また、腹痛は極めて強いままで嘔吐も出現し、尿量も減少しているほか、腹部X線写真でもバリウムの回腸への逆流が更に増加し、GOTやGPTの数値も正常値より高くなっている。
(3) 以上の淑子の病態によれば、同年七月一〇日には小腸及び大腸に鏡面形成が認められ、同月一一日にはイレウス管からの減圧は有効に行われてはおらず、嘔吐も出現している上、X線写真でもバリウムの回腸への逆流が更に増加していることが認められるのであるから、保存的治療によって三日以上経過しても閉塞状態は解除されないばかりか、むしろ悪化しているというべきである。
したがって、淑子の治療にあたる被告病院の医師らは、同月一〇日ないし遅くとも同月一一日には、イレウス解除のための手術を行うべきであった。
(4) しかるに、被告病院の医師らは、淑子に対する第一手術を適切な時期に実施するという医師としての注意義務に違反し、同月一二日になってはじめて、淑子に対してイレウス解除のための手術(第一手術)を実施した。そのために、淑子のイレウスは悪化し、大腸の壁の亀裂や漿膜の亀裂が生じ、その結果、消化管や腸間膜に広範な癒着を生じた。
(二) 被告病院の医師らの第二手術実施時期についての注意義務違反
(1) 何らかの原因で腸管が癒着することにより生じる癒着性イレウスにおいては、保存的治療によってもイレウスの状態が解除されず、臨床症状の悪化や一週間程度の経過観察でも症状の改善が認められないときには、手術によるべきものとされており、手術が遅れると癒着が進行し、手遅れとなるものである。
(2) ところで、淑子に対し第一手術が実施された後、第二手術実施までの間の淑子の病態は次のとおりである。
ア 第一手術後から腸管の通過障害が始まり、平成七年七月一七日ころから嘔気嘔吐が頻繁に起きた。同月二四日の腹部CTにおいては、小腸の拡張、腸管壁の肥厚、腸間膜の強度の肥厚が認められ、同年八月三日には、右症状はより悪化している。
イ 同年七月二四日以後、腹満が継続し、排ガスも出なくり、尿量も減少し、グル音も同月一九日以降は継続して弱い。
ウ 電解質については、同月一九日以降、ナトリウム及びクロールの数値が低下し、特にナトリウムについては、同月三一日には一二二と極めて低下している。
また、GOT、GPT及びLDHの各数値も、同月一七日以降は悪化している。
(3) 淑子の前記病態によれば、消化管の通過障害及び広範な癒着の存在が明らかであり、現に被告病院の医師らも、同月一九日には淑子が術後イレウスを起こしているとの診断をしているほか、同月二六日には再手術が必要であると診断している。
癒着性イレウスにおいては、時間が経てば経つほど腸管の癒着部分の線維化が進み、剥離手術が困難になるほか、出血もしやすくなる。そして、淑子の病態は、保存的治療によっても、右癒着性イレウスの症状が改善の傾向を示さなかったばかりか、逆に悪化していることや前記同月二四日の腹部CTの所見を考え合わせれば、被告病院の医師らは、同月二五日ないし遅くとも同月三一日ころまでには、イレウス解除のための再手術を行う必要があった。
(4) しかるに、被告病院の医師らは、第二手術実施の時期についての判断を誤り、同年八月七日まで第二手術を実施しなかった。そのため、淑子のイレウスが悪化して、広範な癒着が形成され、腸管の癒着部分の線維化が進み、剥離が困難となった結果、第二手術中に淑子に約四〇五〇ミリリットルもの出血があり、これによりDICを引き起こして、淑子が死亡するに至った。
(三) 被告大学の責任
被告病院の医師らは、前記のとおり第一手術及び第二手術の各実施時期に関する注意義務に違反し、その結果淑子を死亡させたのであるから、不法行為責任を負い、被告病院の医師らの使用者である被告大学は、淑子及び原告らに対し、使用者責任を負う。
3 損害
被告らの前記各不法行為によって淑子が死亡したことにより、淑子及び原告らが受けた損害は次のとおりである。
(一) 淑子の損害
(1) 淑子の逸失利益 二六六〇万一三二三円
淑子は、死亡当時、主婦として家事労働をしており、満五一歳の女性であった。
そこで、淑子の年収を、平成七年度賃金センサス第一巻第一表年齢階級別企業規模計女子労働者学歴計の平均年収額三二九万四二〇〇円、生活費控除率を三〇パーセント、労働能力喪失期間を一六年とし、その新ホフマン係数一一・五三六を乗じると、淑子の逸失利益は、二六六〇万一三二三円となる。
三二九万四二〇〇円×(一-〇・三)×一一・五三六=二二六〇万一三二三円
(2) 淑子の慰謝料 三〇〇〇万円
(3) 原告らは、淑子の夫又は子であり、原告らの他に淑子の相続人はいないから、淑子の前記逸失利益及び慰謝料債権を、法定相続分に従い、次のとおりの割合で相続した。
ア 原告忠男 二八三〇万〇六六一円
イ 原告美詠子 一四一五万〇三三〇円
ウ 原告麻理子 右同額
(二) 原告ら固有の損害
(1) 原告ら固有の慰謝料
原告忠男は妻を、原告美詠子及び原告麻理子は母を、それぞれ被告らの不法行為によって失い、甚大な精神的損害を受けた。右精神的損害を金銭的に評価すると、原告忠男については三〇〇万円を、原告美詠子及び原告麻理子については各一五〇万円を、それぞれ下らない。
(2) 弁護士費用
原告らは、被告らによる前記各不法行為により、弁護士に訴訟遂行を委任することを余儀なくされたところ、原告忠男につき三〇〇万円、原告美詠子及び原告麻理子につき各一五〇万円が、それぞれ相当である。
4 よって、原告らは、被告らに対し、不法行為に基づく損害賠償として、連帯して原告忠男について三四三〇万〇六六一円、原告美詠子及び原告麻理子について各一五六五万〇三三〇円並びにこれらに対する淑子の死亡した日の翌日である平成七年八月一五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
四 被告協会の主張
1 被告センターの医師の過失については争う。
注腸造影検査において、検査対象者にアップルコアが認められると、進行大腸癌が疑われ、その場合には、病変部の閉塞の程度を判断するために、若干の圧をかけてバリウムが口側に流れるかどうかを確認することは通常行われている方法である。
また、進行大腸癌が疑われる場合、アップルコアが認められた部分より口側についても、別の病変がないかどうかの確認は当然に行うべき検査であって、慎重にバリウムを注入して全大腸の造影を行う限り問題はない。
本件においては、被告センターの医師は、慎重に確認をしながら本件検査を実施しており、何らの過失も認められない。
2 また、被告センターの医師の実施した本件検査と淑子の死亡との因果関係を争う。
仮に、淑子に、本件検査によるイレウスが生じたとしても、通常は内科的処置によりイレウスは解除される可能性が高いのであるから、本件検査と淑子の死亡との間の因果関係は認められない。
3 淑子及び原告らに生じた損害についてはいずれも争う。
五 被告大学の主張
1 第一手術の実施時期について
(一) 大腸癌イレウスが認められる場合、現在では、経静脈栄養や脱水補正のための輸液を行いつつ、イレウス管を挿入して腸管内減圧を行って病態の改善を試みた上で、大腸癌の手術を実施する一期的治療が適切な治療法として確立されており、被告病院においても、淑子の治療にあたって右一期的治療を行うことをその方針とした。そして、手術の実施時期の妥当性については、手術前の病態と手術中の所見から判断されるべきである。
(二) 淑子の第一手術前の病態は、次のとおりであり、これによれば、平成七年七月一〇日までに手術を実施すべき緊急の事由はなく、かつ、本件のように絞扼を伴わないイレウスに対する手術時期にはある程度の許容範囲があることを考慮すれば、被告病院の医師に第一手術実施時期の判断の誤りはない。
(1) 同月七日
明確な小腸ガスはなく、腹部X線写真でも鏡面形成は認められない。また、腹痛も高度ではない。
(2) 同月八日
腹痛は増強したが、少量のバリウム便の排出及び排ガスが認められ、鏡面形成は認められない。
(3) 同月九日
排ガスが認められ、腹痛も多少緩和されている。
(4) 同月一〇日
排ガス及びバリウム便が認められるが、横行結腸内のバリウムが一部逆流した所見及び鏡面形成が認められた。
なお、同日、イレウス管の挿入が行われ、腸管内の減圧が行われている。
(5) 同月一一日
排ガスは認められたが、嘔吐があり、バリウムの逆流の増加が認められた。
(三) 第一手術中の所見についても、口側の腸管がイレウスのために拡張していたが、穿孔や漿膜の亀裂、第一手術後に発生した癒着性イレウスの誘因などは認められず、このことからも第一手術の実施時期が不適当であったと考えることはできない。
(四) 以上によれば、被告病院の医師らが、淑子に対する第一手術の実施時期について適切な判断を誤ったということはなく、何らの過失も認められない。
2 第二手術の実施時期について
(一) 淑子に対する第一手術実施後の淑子の病態は次のとおりである。
(1) 同月一六日
排ガスを認め、右半結腸の拡張及び術後イレウスの所見はなかった。また、バリウムは上行結腸に残ってはいるものの、ほとんどは直腸内に移行しており、経過は順調であった。
(2) 同月一七日
嘔気嘔吐が出現した。
(3) 同月一九日以降
腹部X線写真で小腸ガスを認め、被告病院の医師は術後イレウスと診断し、淑子に対し胃管を挿入した。以後、右術後イレウスは寛解増悪を繰り返した。
(二) 淑子の前記病態によれば、第一手術後一週間という早期に術後イレウスが発症したもので、術後イレウスとしては、癒着性、麻痺性、癌性腹膜炎、脂肪織炎などが考えられたが、典型的な術後癒着性イレウス症状を呈していなかった。そして、一回目の手術後早期の再手術は一般的に好ましくなく、再手術が術後イレウスの解除のための唯一の手段であるとされない限りは、早期の再手術はむしろ避けるべきである。
したがって、手術後相当期間を経過した後に発症した癒着性イレウスと同じ基準で再手術時期を決することはできない。
(三) 本件では、第一手術後の淑子の所見からすれば、腸管内の通過性は一定程度保たれていたといえ、第一手術後早期に第二手術を実施すべきであったというような事情はなかった。
また、術後イレウスそれ自体は、統計的にも一定頻度で出現しており、回避できないものであるし、本件のように淑子に生じた強固かつ広範な腸管の癒着の原因は淑子の体質によるものである。そして、第二手術中に発症したDICについても、淑子に手術前に出血傾向もDICの予兆もなく、予見不可能であった。
(四) 以上によれば、被告病院の医師らが第二手術の実施時期について適切な判断を誤ったということはなく、何らの過失も認められない。
3 淑子及び原告らに生じた損害についてはいずれも争う。
六 争点
1 被告センターの医師のバリウム注入についての過失の有無
2 被告病院の医師らによる第一手術実施時期の判断の適否
3 被告病院の医師らによる第二手術実施時期の判断の適否
第三当裁判所の判断
一 争点1について
原告らは、被告センターの医師が、淑子に対する本件検査において、淑子の下行結腸上部部分にアップルコアが存在することを発見したにもかかわらず、淑子に対するバリウムの注入を続けて、淑子の横行結腸内に大量のバリウムを注入し、その結果、淑子に重篤なイレウスを引き起こした旨主張している。
しかし、前記のとおり、被告センターの医師は、本件検査によりアップルコアを発見したが、弁論の全趣旨によれば、アップルコアがある場合には進行性大腸癌が疑われることから、病変部の閉塞の程度を判定するためにバリウムが口側に流れるかどうかを確認し、また、横行結腸より回盲部にかけて別の病変があるか否かを確認するためにバリウムを注入して全大腸の造影をしたことが認められるところ、本件全証拠によっても、右手技が違法であることを認めることはできない。また、仮に、被告センターの医師による本件検査が、淑子のイレウス発症の一因になったとしても、そのことから、淑子がDICを発症し、死亡するに至るとは通常考えられないことからすれば、本件検査と淑子の死亡との間に相当因果関係があるとも認め難い。
よって、その余の点につき判断するまでもなく、原告らの被告協会に対する請求は理由がない。
二 争点2について
1 前記争いのない事実等に加え、証拠(甲三、五ないし八、乙六、八、九、一二、証人横井公良、証人望月英隆、鑑定の結果)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認めることができる。
(一) イレウスとは、何らかの原因により腸管内容の運行が途絶されることによって生じる病態をいい、機械的な腸管内腔の閉塞による通過障害である機械的イレウスと、腸管に機械的な閉塞がないのに腸管の運動障害による内容の停滞が認められる機能的イレウスとに分類され、前者、すなわち機械的イレウスは、さらに、腸管の血行障害を伴わない単純性イレウスとこれを伴う複雑性(絞扼性)イレウスとに分類される。第一手術前に淑子に生じていたイレウスは、大腸癌の存在によって腸管の内腔が閉塞した結果起きたものであり、右発生原因によれば、機械的イレウスのうちの単純性イレウスに分類される。
(二) そして、このようにイレウスを合併した大腸癌(大腸癌イレウス)に対する治療法としては、かつては早期にイレウスを解除するための手術を行い、その後、大腸癌の根治のための手術を改めて行うという二期的手術が一般的であったが、近時は、経口摂取の中止、脱水補正のための輸液や腸管内の減圧等保存的治療を行ってイレウスの病態の改善を試みた上で、大腸癌の根治のための手術を行うという一期的手術が主流となっており、本件においても、被告病院の医師らは、淑子に対する治療法として右一期的手術を選択した。
(三) 一期的手術を行うにあたり、その時期を選択する上で重要なことは、イレウスが、その者の生命や手術後の経過を脅かす程度にまでなっているか否かという点であり、保存的治療によっても病態の改善がみられない場合は、イレウス解除のための手術の適応があるとされている。そして、右保存的治療の限界としては、個々の症例によっても異なり、絞扼を伴わない限りにおいて一定の時間的な幅があるが、一般には三日ないし一週間とされ、この期間保存的治療を継続してもなお病態の改善が認められない場合には、イレウス解除のための手術に踏み切るべきであるとされている。
2 そこで、以上を前提に、本件の第一手術実施時期の妥当性について検討する。
この点に関し、原告らは、淑子が被告病院に入院して保存的治療の開始された平成七年七月七日より三日経過した同月一〇日ないし同月一一日になっても保存的治療の効果が上がらず、淑子のイレウスの悪化が認められたのであるから、同月一〇日ないしは遅くとも同月一一日には、淑子に対する手術を実施すべきであった旨主張する。
確かに、証拠(乙一、四、一二、証人横井公良、証人望月英隆、鑑定の結果)によれば、淑子の入院後の病態は、平成七年七月九日以前は、排ガスがあったり、腹痛も緩和され、腹部X線写真でも鏡面形成は認められなかったのであるから、淑子のイレウスの悪化は認められず、直ちに緊急手術を行わなければならないほどの差し迫った状態であるとはいえないことが明らかであるが、同月一〇日には、少量ながら小腸ガスやバリウム便が認められたものの腹部X線写真によれば、横行結腸内に存在していたバリウムが一部回腸へ逆流しており、また、そうであるにもかかわらず盲腸から横行結腸に至る大腸の拡張がやや高度になっていたり、小腸と大腸に鏡面形成が認められたことからすれば、下行結腸上部部分の通過障害はより高度なものとなっていること、さらに、同月一一日には、排ガスはあったものの、前日に挿入されたイレウス管による減圧の効果がみられなかったばかりか、嘔吐の出現、バリウムの回腸への逆流の増加等右イレウスが更に悪化していることを認めることができ、これらの事実によれば、同月一〇日ないし同月一一日の段階で淑子に対する手術を実施するというのも、一つの選択肢として十分に取り得るところであると考えられる。
しかしながら、同月一〇日ないし同月一一日の淑子の病態は、同月一〇日には排ガス及び少量ながらバリウム便が、同月一一日には排ガスがそれぞれ認められるなど、必ずしも重篤な病態を示していたというわけではなく、淑子の生命に対する危険が差し迫っていたとは考えられない。
また、証拠(乙一二、証人横井公良、証人望月英隆)によれば、手術前には手術対象者の全身状態を最大限把握する必要があり、緊急手術は可能な限り避けるのが望ましいこと、第一手術前に淑子に生じていたイレウスは下行結腸上部部分に発症した大腸癌が原因であり、一般的には上部小腸のイレウスと比較して、短い時間の単位で病態が悪化していくということはないことが認められ、これらの事実を考慮すると、被告病院の医師らが、同月一〇日ないし同月一一日から更に一日ないし二日の間、保存的治療による経過観察を続け、同月一二日に第一手術を実施したことをもって、不適当であったと断定することまではできないというべきである。
3 また、証拠(証人望月英隆、鑑定の結果)によれば、イレウスの解除のための手術において、実施時期を逸すると、大腸癌の存在する部分より口側の大腸が大腸内圧の亢進によって穿孔をきたして汎発性腹膜炎を発症したり、あるいは穿孔に至らない場合であっても、腸管の内圧の亢進によって腸壁の一部に断裂がみられ、大腸の粘膜面に縦長の潰瘍が形成されたり、大量な大腸内容のために手術操作が困難となることが認められるが、本件全証拠によっても、淑子に対する第一手術実施中の腹腔内所見において、淑子に右のような事実が生じていたことを認めることはできず、かえって証拠(鑑定の結果)によれば、第一手術に要した約二時間四〇分という時間は、本件のような左半結腸切除術のみの所要時間としては妥当なものであり、腸管内容の貯留に邪魔されることなく、手術は順調に行われたことが認められることからすれば、淑子に対する第一手術実施時期は、結果的にみても医学的に許容できる期間内のものであったというべきである。
4 以上によれば、被告病院の医師らに、淑子に対する第一手術実施時期の判断についての過失を認めることはできず、この点に関する原告らの主張は採用の限りではない。
三 争点3について
1 前記認定の各事実等に加え、証拠(甲三、五、八、乙一〇ないし一二、証人横井公良、証人望月英隆、鑑定の結果)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認めることができる。
(一) 癒着性イレウスとは、腸管の癒着によるイレウスのことで、前記分類によれば、機械的イレウスのうちの単純性イレウスに分類される。癒着性イレウスの大半は、開腹術後の癒着に起因する術後イレウスであり、開腹手術後一定の頻度で生じるが、その原因については、現在でも不明とされており、事前に防止することはできない。
(二) 術後に生じた癒着性イレウスに対する治療法としては、一般に手術によらず、保存的治療を継続するという方法が現在の主流であり、本件の場合も、まず保存的治療によるイレウス解除が試みられた。
(三) 癒着性イレウスにおいても、保存的治療により病態の改善が認められない場合には、手術によるべきとされているが、癒着性イレウスに対する保存的治療の限界としては、この場合も前記大腸癌イレウスの場合と同様に、個々の症例によっても異なり、絞扼を伴う場合はともかく、そうでない場合には時間的に一定の幅があり、一般には術後相当期間が経過した時点で癒着性イレウスを発症した症例を念頭においた上で、一週間ないし長いもので二週間とされ、この期間保存的治療を継続してもなお病態の改善又はイレウスの解除が認められない場合には、手術適応があるとされている。
本件の場合、淑子に生じた術後イレウスは、第一手術後約一週間という術後早期に発症した特殊な症例であり、前記の一般的な基準が必ずしも当てはまるものではない。そして、術後早期に発症した術後イレウスの場合、一回目の手術侵襲からの回復が十分になされておらず、再手術は吻合部の損傷と縫合不全の発生の危険性があることや消化管が浮腫により脆いこと等から、イレウスによる病態が、その者の生命を脅かす程度に切迫し、かつ、イレウス解除には、手術が唯一の方法であることが明確に確認されない限りは、早期の手術を避けるべきであり、最低限でも、一回目の手術の吻合部の創傷が清潔なものであると仮定した場合にその治癒が進み、十分な物理的拡張力が得られるのに必要な期間とされている一〇日ないし二週間は再手術の実施を控えることが望ましいとされている。また、専門誌等に報告されている症例においても、再手術の実施時期は一回目の手術後一週間から長いものではおよそ一か月以上経過後のものまであり、必ずしも一定しているわけではない。
2 以上を前提にして、本件第二手術の実施時期の妥当性について検討する。
原告らは、淑子の癒着性イレウスにおいては、平成七年七月二四日の所見及び保存的治療によってもイレウスの状態が解除されないばかりか、逆に全身状態を含めて悪化していることからすれば、同月二五日ころないし遅くとも同月三一日までには、淑子に対する腸管の癒着の剥離のための手術を実施すべきであった旨主張する。
(一) 確かに、証拠(乙一、四、一二、証人横井公良、証人望月英隆、鑑定の結果)によれば、淑子の第一手術後の病態は、平成七年七月一九日には、腹部X線写真で鏡面形成が確認された上、六回にわたる嘔吐、胃管からの一〇五〇ミリリットルもの消化液の排泄が認められ、これらは、いずれも上部小腸付近に高度の通過障害があることを窺わせるものであって、被告病院の医師らも淑子を術後イレウスと診断していること、以降、同月二三日まで連日三〇〇ないし七〇〇ミリリットルの嘔吐が認められ、同月二四日には排ガスがなくなり、腹満も出現するなど右通過障害の悪化が推測されたこと、同月二四日及び同年八月三日にそれぞれ撮影された腹部CTの所見として、小腸の拡張、腸管壁の肥厚及び腸間膜の強度の肥厚が認められ、これらはいずれも消化管の通過障害と広範な癒着の存在を示すものであること、同月三一日にかけて血清電解質のうちナトリウム濃度が低下し、肝機能の軽度の低下もあったこと、同月二六日には、担当医は淑子に対して再手術の可能性を示唆していることを認めることができ、これらの事実によれば、同年七月一九日以降、淑子において小腸の通過障害が進行し、症状が悪化していたものといえる。
しかしながら、他方で、右事実に加え、証拠(乙一、四、一二、証人横井公良、証人望月英隆、鑑定の結果)によれば、同月二三日までは排ガス及び排便があり、また、同月二〇日に淑子の胃内に注入されたSitz Mark(腸管の通過性の確認のために使用されるリング状の物質)が翌二一日から同月二八日にかけて、一部上行結腸に移動していたこと、同月三〇日までの嘔吐量及び胃管からの排液量は一日あたり五〇〇ミリリットル前後であり、一日の消化液の分泌量が数リットルに達することから逆算して、分泌される消化液の大半は肛門側に流れていたと考えられること等からして、同月三〇日の時点においても、一定の通過障害はあるものの淑子の腸管内の通過性はなお保たれていたとみてよいこと、淑子の電解質の数値の悪化は、輸液メニューの工夫や電解質補正液の投与により補正することが可能であること、前記のとおり、手術後の創傷の治癒に必要な期間は、一〇日から二週間とされているが、これはあくまで清潔な創傷を前提としたもので、現実には消化管内腔に多数存在している腸内細菌叢の影響で右創傷の完全な治癒にはより長い時間を要すること、第一手術後に右通過障害の存在することが予想された左上腹部から側腹部付近は、同時に第一手術時の結腸吻合部も存在することが認められ、これらの事実を合わせ考えると、淑子の消化管の通過障害は悪化していたとはいえ、同月三一日までの間に、再手術に伴う危険を度外視してまでも再手術を行わなければならないほどの生命の危険が迫っていたとは認め難い。
(二) また、原告らは、淑子が死亡するに至った原因は、第二手術中の大量出血により発症したDICであるが、第二手術の実施の遅れが淑子の腸管の広範かつ強固な癒着をもたらし、その癒着の剥離が困難となったため、右出血が起きた旨主張する。
確かに、証拠(甲二、一一、乙一、二の二、一二、証人横井公良、証人望月英隆、鑑定の結果)によれば、淑子が死亡するに至った最も重要な原因は、第二手術中に発症したDICであり、これは第二手術実施中に淑子に約四〇五〇ミリリットルもの大出血があったことに起因している可能性があるほか、一般論としては腸管の癒着は時間の経過に伴って線維化が進み、強固なものとなることが認められる。
しかしながら、右各証拠によれば、腸管の癒着は、時間の経過につれて(手術が遅れるにつれて)広範になるというものではなく、癒着が生じた時点から広範であった可能性もあること、広範な癒着の原因の一つには縫合不全等に起因する腹膜炎の存在が挙げられるが、本件において、淑子に腹膜炎が生じていたことを窺わせる証拠はなく、本件においてその原因を特定することは困難であること、癒着は時間の経過によって線維化が進み強固なものとなるが、線維化が進むことによって剥離がかえって容易になることもあること、強固かつ広範な癒着を剥離するために出血が多くなった可能性はあるが、それでも通常は約四〇五〇ミリリットルにも及ぶ出血があるとは考えにくいこと、第二手術前の諸検査からは、淑子には出血傾向はなかったことなどが認められることからすると、そもそも第二手術と淑子のDICによる死亡との間に相当因果関係があるとは認め難い。
3 以上のとおりであるから、被告病院の医師らに、淑子に対する第二手術実施時期の判断についての過失があり、そのために淑子が死亡したものとは認められない。
よって、その余の点につき判断するまでもなく、原告らの被告大学に対する請求は理由がない。
第四結論
以上説示したところによると、原告らの請求は、いずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条、六五条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 高田健一 裁判官 内藤正之 裁判官 大野晃宏)
別紙<省略>